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2017/04/18

大地と人をつなぐ大和の伝統野菜。その種を蒔き・育てるレストランでノウハウを学び起業する。

Next Commons lab奥大和

ー生きがいと仕事をひとつに

1日24時間のうち、仕事に費やす時間は長いものです。となれば、生きがいと仕事をひとつにしたいと願うのは、働く私たちの命題かもしれません。
この命題を、日々の生業とすることに成功した人が奈良にいます。
本プロジェクトのパートナーである三浦雅之さん。
三浦さんは奈良県の伝統野菜を育てる農家であり、県内で3軒のレストランを営む経営者、
大和の伝統野菜をはじめ世界の固定種・在来種の種を調査し保存するNPO法人の代表理事でもあります。
今回は、三浦さんの哲学に共鳴し、彼らの下で畑仕事からレストラン開業までのノウハウを学び、
やがては奈良県の大和高原地域でのれん分けのような形で独立する人材を募集します。

三浦さんの活動のはじまりとなったレストラン清澄の里「粟」は、観光客で賑わう奈良市内から車で20分ほど離れた中山間地域にあります。
ここは奈良市内にありながら、中心部から少し離れただけで里山の風景が広がり、何とものどかな雰囲気。
小高い丘に建つレストランまでの細い道を行くと、三浦さんの飼うヤギのペーターがひょっこり顔を出しました。
ここで訪れる人に供するのは、大和の伝統野菜を中心としたお料理。
伝統野菜とは、その地域で代々作られてきた野菜のこと。
京野菜や加賀野菜などは、今でこそ野菜のブランドとして知られていますが、
三浦さんが農業をスタートした23年前はまだまだ伝統野菜の知名度は低く、今ほど注目を集める時代ではありませんでした。

ー福祉の現場から未経験の農業へ

当時の三浦さんは福祉の研究職についていました。
「日本では年間の医療費が国家予算の中から約15兆円使われています。
一方で、どのくらい幸福かを本人の主観をもとに測った『主観的幸福度』が低いという統計結果があります。
その原因を考えると老後の不安や、核家族化が進んだ結果、地域の支え合いが希薄となった社会の在り方などが挙げられます。
そこで主観的幸福度が高く、生涯現役率も高い福祉の在り方を知りたくて、当時福祉の最先端と言われたアメリカ西海岸へ新婚旅行にでかけました」。
福祉の現場のリサーチは果たしたものの、その次に出会ったものが三浦さんの生涯を変えました。それは、ネイティブインディアンとの出会い。
三浦さんと奥さんの陽子さんはホピ族の村に2ヶ月ほど滞在し、彼らの暮らしぶりを目の当たりにします。
するとそこには、三浦さんが理想とするコミュニティの在り方と人としての生き方がありました。
「お年寄りは知恵袋として尊敬され、子供たちは喧嘩もするけど、いじめとか陰湿なムードがない。日本で問題とされる問題が見当たらなかったんです」。
何がこのコミュニティを支えているのかを考えた三浦さんは、人々が大切に育てている「とうもろこし」ではないかと仮説を立てました。
「とうもろこしは彼らの主食なんですね。とうもろこしを育てて収穫するために、みんなで力を合わせるという横のつながりが生まれ、
『食べる』にあたっては、祖母から母へ、母から娘へと世代を超えてレシピが受け継がれていく。
また収穫の時期には祭り(伝統芸能)があり、村としての一体感も生まれていたんです」。

ー流通・消費の拡大とともに、消えてゆく伝統野菜

コミュニティの縦と横のつながりの要となる「とうもろこし」。では日本における「とうもろこし」のような存在は何でしょうか?
三浦さんは地域に残る伝統野菜がそれにあたるのではないかと考えました。そこで三浦さんと陽子さんは国内の各地で伝統野菜のフィールドワークをはじめました。
そんなある日、奈良の伝統野菜を調べたところ、9種類しかないという残念な結果が判明。ところが、県の農業情報・相談センターの方から、
「県が把握しているのはこれだけですが、探せばもっとあるかも」と言われ、三浦さんと陽子さんは奈良の伝統野菜を探すことをライフワークにしようと決めたのです。
かくして、奈良の山間部をリサーチしてみると次から次へと伝統野菜の種が見つかりました。
実は奈良の農家は大抵自家消費用の畑を持ち、そこでは「家族がこの野菜が好きだから」あるいは「自分が好きだから」と、
「好き」という気持ちをベースに脈々と野菜を育て、種を採り、時期がくればそれを蒔くという文化がひっそりと、確かに残っていたのです。

ーF1種の台頭

人の命をつなぎ、コミュニティをつなぐ。そんなに素晴らしい伝統野菜が、なぜ消えていってしまったのでしょう?
いま市場に並ぶ野菜の多くはF1種と呼ばれるもの。F1種は異なる親の遺伝子を組み合わせるため、生育が旺盛。収穫量も多く、農業をする上では効率がいいのです。
「奈良の農業は主に奈良盆地と、奥大和と呼ばれる南部の山間地域で行われています。
特に奈良盆地は比較的平坦な土地だったので効率化をはかって、農業の産業化がしやすかったんですね。
また京都と大阪という二大消費地に隣接しているので、スーパーに並べやすい野菜を作ってきた経緯があります」。
スーパーに並べる野菜=規格や流通を重視する野菜のこと。
F1種は野菜の大きさがほぼ一定になるように作られており、箱に詰めやすく、流通させやすい。あるいは大きさがほぼ均一なことから飲食店などでも使用しやすい。
人々が里を離れ都会で暮らすようになり、野菜の消費者が増えるとともにF1種の流通も加速していきました。

ー伝統野菜と換金性

農家を生業とするとき、作物と換金性はもっとも考慮すべきことのひとつです。
奈良の伝統野菜が衰退してしまったもうひとつの理由は、晩生品種が多いという特徴にあります。里芋を例に考えてみましょう。
一般的に里芋は9月初旬から収穫されて市場に並びますが、
「烏播(うーはん)」という里芋は10月の中頃からしか収穫できません。
市場では旬の「はつもの」は高い値がつくものですが、10月からしか収穫できないため、換金性という面でも伝統野菜は不利ということになります。

このように、流通性や換金性の面ではF1種に劣るものの、三浦さんは大和野菜を地域の宝と捉え、
在来種・固定種の種と、エアルーム野菜(海外の固定種)の種を保存する「NPO法人清澄の村」を立ち上げました。
年間で100種類以上の作物の種を栽培し、種を保存しています。1998年から活動を続けて19年ということもあり、
「固定種・在来種といえば三浦さん」という図式も浸透してきたそう。
「種に呼ばれる」ように、新たな種に出会っていくのだと言います。農業の担い手の高齢化と過疎化が進む中で、
三浦さんが保存しなければ消えてしまう運命にあった種は、数えきれません。

ー食べることを通して、伝統野菜を伝える

種を保存することが、生きた地域社会とコミュニティの在り方、ひいては人間としての幸せな生き方につながるという思いではじめた三浦さんの生業。
種の保存だけでもとても尊い行いですが、三浦さんと陽子さんの活動が飛躍的に広まったのは、
保存した種で作物を育て、それをレストランで提供しているからでしょう。
いまや奈良県内に3つの系列レストランを持つ三浦さんですが、意外にも
「はじめはレストランを開こうだなんて思ったこともなかったんですよ」と笑います。
実はレストランにしようと提案したのは、陽子さんでした。
「地域づくりっていろんな人の力が必要になる。でもNPOという組織はワンテーマですよね。
種の保存に興味のある人は関心を持って来てくれるけど、そうじゃない人にも来ていただきたいんです」。
こうして夫婦で話しあった結果、いろんな人が自然に集える場ということでレストランに決定。
今でいう農業の6次産業化を、三浦さんたちは20年も前から行っているということです。
レストラン清澄の里「粟」で提供する料理は、地元で採れる約50種類の野菜を中心に、
前菜、和え物、煮物、揚げ物、鍋物、ご飯、香物、お味噌汁がセットになった「粟おまかせコース」と、
そこに大和牛を使用した「粟大和野菜のフルコース」の2種。1日約20席限定。
使用されている野菜の数の多さにびっくりしますが、その味はミシュランガイドでひとつ星を獲得するほどの腕前。
社会的意義だけでなく、おいしさをていねいに追求しているからこその評価でしょう。
ここの厨房では、陽子さんが料理を担当しています。ほかスタッフ2名が在勤し、来る人をいつでもていねいにもてなします。
本プロジェクトに応募し採用されれば、まずはこの清澄の里「粟」で学びます。そして学んだ後に大和高原地域の曽爾村(そにむら)などで起業することになります。
清澄の里「粟」の営業はランチ時のみですが、提供する野菜を自分たちで作ることから始めるため、日々の仕事は決してのんびりというわけにはいきません。
農作業では種のフィールドワークの方法、種取りの方法、作付け、収穫までの一連の流れを学びます。
またレストランでは、接客、調理、店舗経営からマーケティングまで、と幅広い内容です。
「起業を考えたときに、カフェみたいなカジュアルにいくのか、ちょっと重くして割烹みたいにするのか、それも和洋折衷どのラインでいくのか、
どのクオリティに落とし込んでいくのか、地域のニーズとしてほかにどういう競合店がいらっしゃるのかを考えて事業計画をつくらないといけないです。
そういうところはいっぺんに学べるところじゃないので、ここではエッセンスをくみとっていただければ、いいかなと思います」。
農業に関しては、種取りも種まきも1年を通して、ひとつの作物では1回きりの貴重な作業。
しかも農薬を使わず、なるべく昔ながらの農法にこだわっているので、農業にもコツが必要になってきます。
応募する人は農業の経験があるか、飲食店の経験があるか、どちらかの経験がある方のほうがスムースかもしれません。
「いまは農家レストランをやりたい方が多いので、飲食店の経験があるとか、農業の経験がある方で
『この部分がわからん』というレベルの方が来てくれはったら1年でも爆発的にやっていけると思います。
そうじゃなくても、自分で何かをやりたいと強く思っている方、すでに『助走』している方が理想ですね」。

ー種はみんなで蒔く

学ぶべき仕事の多さにちょっとおじけづきそうになるかもしれませんが、協力し合える先輩もたくさんいます。
三浦さんが経営するレストランは清澄の里「粟」、奈良市内の町屋が連なる風情あるならまちに建つ「粟」ならまち店(2009年オープン)、
奈良の魅力を体感するギャラリーとキッチンが併設された「coto coto」(2015年オープン)の3店舗。
近年はこのように店舗数が増えたため、お店で提供する野菜は600坪の自家菜園ではまかないきれなくなってきました。
三浦さんはレストラン清澄の里「粟」のある地域の方々でつくる五ヶ谷営農協議会と提携し、組合に所属する農家さんから野菜を購入しています。

種の保存をしながら伝統野菜を栽培し、一般的には流通させにくい伝統野菜をレストランで提供することで収益を上げ、
また周囲の提携農家さんから野菜を買うことで、過疎化が進む中山間地域で仲間とともに農業を持続可能にしていく。
日本全国を見ても、なかなか例を見ない取り組みです。
あなたがこの地で農業と飲食店を営めば、地域の種と種がつないできた知恵と文化が継承され、
レストランを訪れる人と地域が有機的につながっていく。やりがいも手応えも十二分にありそうです。
三浦さんは言います。「種はみんなで蒔いた方がいいんです」と。
一粒の種から広がる未来は、私たちの想像を超えた可能性に満ちているはず。
種は蒔かなければ芽吹きません。次に蒔くのは、これを読んでいるあなたです。
(文=ヘメンディンガー綾 編集=赤司研介

profile

三浦雅之(株式会社「粟」 代表取締役社長)
1970年生 奈良市在住 京都府舞鶴市出身。1998年より奈良市近郊の中山間地である清澄の里をメインフィールドに奈良県内の在来作物の調査研究、栽培保存に取り組み、大和伝統野菜を中心に年間約120種類の野菜とハーブを栽培。
2002年に大和伝統野菜を食材とした農家レストラン清澄の里「粟」、2009年には奈良町に粟ならまち店をオープン。 そして2015年5月より奈良の魅力発信を行う奈良市との官民協働プロジェクト「coto coto」を運営。 株式会社粟、NPO法人清澄の村、五ヶ谷営農協議会を連携協働させた六次産業によるソーシャルビジネス「Project粟」を展開している。